負け犬の遠吠え #1

負け犬の遠吠え #1

この記事は「私は多数派に属するのではなく、少数派だった」という話をつらつらと書いていくものです。せっかちな方は、それだけ知っていてください。

 

暑い熱い夏がやってきた。小さな子どもたちを抱えた親御さんたちはこの夏休みに戦々恐々していることだろう。しかし、昨日有明GYM-EXで開催されたトミカ博では子どもたちとの時間を恐れるような親の姿は少なく、むしろ一緒になって楽しむ微笑ましい光景がそこかしこにあったように思う。みんな良い親だ。

わたしの息子(3歳)は無類のトミカ好き(プラレール好きでもあるのだが)なのではしゃぎまくっていたが、かく言うわたしはそこまで車好きという訳ではない。ミニチュア好きではあるので、圧巻のジオラマには他の大人たちと同様に釘付けにされた。

 

会場の熱気にあてられて、併設されたトミカショップで大量のトミカを購入してしまった。息子が欲しがったのはトミカ博限定の「UDトラックス クオン トミカ昆虫館トラック(巨大カブトムシ)」だけだったのだが、息子を言い訳にして20台くらい購入してしまった。まぁ良いじゃないか。よくある家族の休日風景さ。

さて冒頭に書いたような、わたしが少数派である理由を述べていこう。

 

最近のこうしたイベントは(と主語を大きくして語って良いものか悩むが)入場券を事前にオンライン購入させるのが一般的なスタイルだ。一方で、前回参加したプラレール博と同様に会場内で遊べるアトラクションは、事前のオンライン販売ではなく当日に会場内に掲出されたQRコードをその場で読み込み、その場でオンライン決済するという方式だった。そのため、多くの親たちはQRコードにスマホをかざして読み取る光景が会場内のそこかしこにあった。

事前説明はこれくらいにして、ここからがわたしの少数派エピソードの始まりだ。

AppleのiPhoneユーザーならご存知と思うが、QRコードを読み取る際にはコントロールセンターにある「コードスキャナー」を普段から使っている。QRコードを読み取るのだから専用機能を使うほうが良いだろう、そんな気構えでそうしている。餅は餅屋というではないか。わたしは、息子が挑戦したいアトラクションがあるので、そのチケットを購入するために会場内に掲出されていたQRコードにコードスキャナーをかざし、専用ページで決済の手続きに入った。既にIDとパスワードは取得済みなので、ログイン情報を入力する。過去に決済したことがある場合、購入者情報が記録されているため入力の手間を省くことができる。次に二段階認証が始まった。登録したアドレスに認証番号が飛んでいるようなので、それを確認するためにメールアプリを開いた。認証コードの確認を終えて、いざ入力画面に戻ろうとしたら既に購入画面がスマホ上から消えている。

 

あれ?なんで?

全てを説明するとかなり冗長になってしまうので結果のみお伝えすると、どうやら私のやり方に誤りがあったようだ。

コードスキャナーで読み込み、そのまま手続きを進めていたのだが、正しくは直ぐにブラウザを立ち上げないと決済完了まで行き着くことができないらしい「コードスキャナーで読み込み、ブラウザを立ち上げ直す。」そのアクションが必要であることを知らなかったばかりに、何度も何度も同じ作業を繰返すことになり、しかも決済が完了しない焦りで苛立ちがつのるばかりだった。最終的には、会場スタッフの方に間違いを指摘され、正しいやり方でもってチケットを購入することができた。無事に息子もアトラクションを楽しむことができた。あぁ、よかった。

どうにも腑に落ちないことがあり、妻にそのことを話してみた。

私:コードスキャナーで読み込んだ後にわざわざブラウザ立ち上げ直さないといけないとか、分からなくない?

妻の答えはなんともあっけないもので。

妻:カメラを起動して読み込めばいいんじゃない。カメラをかざしたら黄色い文字が出てくるでしょ。

おいおい、そんなことは知ってるよ。馬鹿にするんじゃないと内心思ったが、カメラを起動しても上手く読み込まないことがあるから、わざわざ専用のコードスキャナーを使うんじゃないか。そう思った。妻は妻で私の言ったことに納得がいかなかったようで、独自に調査をしたらしい。会場内でQRコードを読み取る際、多くの人(数にして10人ほど)はカメラを起動してQRコードを読み込んでいた。コードスキャナーを使っていた人は皆無だったと、わたしに丁寧に報告してくれた。餅は餅屋じゃないのか…その時わたしは気づいた。わたしは完全なる少数派の側だった。

あなたは自分が多数派であるか、少数派であるか、考えたことがあるだろうか?

わたしはこれまで、自分は多数派に属する、ごくごく平凡な普通の人だと思っていた。しかし、薄々気づいていた。会社員という立場にうまく馴染めず会社を辞めた。そもそも心療内科に通うような精神状況だ。少なくとも大学を卒業し新卒で働いている頃くらいまでは自分は多数派の側、大衆的な人間であって、世の普通を生きていると思っていたけど、そうではなかったようだった。

むかし友人がこんなことを言っていたことを思い出す。

わたしの履歴書は綺麗なことが自慢、と。

彼女は都内に生まれ裕福な家庭に育ち、私立の中高一貫女子校に通い現役で大学に入学した。留年もせずストレートに卒業。大手の上場企業に入社した。

履歴書に綺麗もなにもあるかいと思ったけれど、実際に転職を繰り返して職歴欄が増えてしまうことを、これまでの日本人は嫌う傾向にあったことは事実だろう。新卒入社した会社にずっと勤め続けるのが美徳なのだから。それを考えれば、わたしは転職経験が複数回あるので私の履歴書はとても汚いものだろう。だからどうと言うこともないが。しかしながら、誰もが公に口にしないだけで、少なくない人が自分の経歴を自慢したいのかもしれない。

わたしは、浪人もしている留年もしている、そして転職もしているし、休職もしている。私の履歴書は穴ぼこだらけだし、とても人に誇れるところがない。別な言い方をすれば、私の経歴には一貫性がないのだ。

一貫性、それはこれまで日本社会が前提としていた要素に多分に影響を受けている。浪人せずに現役で大学に行く、そつなく授業をこなして4年ストレートで卒業する、新卒入社した会社に定年まで勤め上げる、身体的にも精神的にも健康であり続けて毎日元気に出社する、そうしたあらゆる当たり前に私は自分を当てはめることができなかった。

自分は普通だと思っていたと書いたが、私は普通という言葉が大嫌いだ。

わたしは普通でもないし、一般的でもないし、一貫性もないし、とにかく亜流を歩み続けている。けれど、別にそれでいい。ただトミカ博のQRコードの読み取り方ひとつを取り上げて、自らが多数派だ少数派だと考えてしまう時点でわたしはどこかおかしいのである。

ただ一つ気がかりなのは息子がどのように育ってくれるかである。わたしのような大人を見ながら育つ息子はどう思うのだろうか。彼が大きくなったとき、トミカ博のことを覚えているか聞いてみよう。その時、父はこんなこと考えていたのだよと教えてあげたい。聞きたくないだろうけど。

 

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