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ぼくはエッセイが苦手だ。

ぼくはエッセイが苦手だ。

わたしはエッセイが苦手である。昨今、芸能人もエッセイを書くし、市井の人々もエッセイを書く。オンラインサービスのnoteなんてそのためにあるのではと思うくらい、エッセイの投稿は多い。 しかし、わたしはエッセイが苦手だ。どうして苦手かというと、あまりに個人的なエピソードが多いからだ。そして、その語り口が鼻に付くこともあるし、結局はその自分語りがわたしにいっこうに染み込んでこないからというのが理由なのかもしれない。 そう考えてしまうには心当たりがある。 わたしは近しい人からは「我が強い」「プライドが高い」と言われることがある。それは自分でも認めるところである。そして更に近しい人(それは家族であったりするのだが)からは、「その割には自信が無い」と思われている。それも自分で認めるところである。更には「他人と比較してしまう」という良くないオマケまでついてきてしまっている。 だから、エッセイを読んでも反発心しか生まれてこない。そしてそんな風だから、わたし自身のことを語ることもかなり臆病になる。「わたしの話なんて聞いても面白くないでしょう」と。だから、エッセイは読むのも、書くのも苦手なのだ。じゃあこの文章はなんなんだよ?と問われるだろう。これは、自己反省のようなものだ。 最近読んだ本がある。『古くてあたらしい仕事』(島田潤一郎著)。ひとり出版社の夏葉社の代表である。これもエッセイなのだが、正直なところ前半部分は内容どうこうではなく読み進めるのが苦であった。理由は単純で「あぁ、また誰かの成功譚を読まされるのか」「自分語りは他人が聞いてて心地良いものじゃないな」とか考えながら読んでいたからだ。かなりの偏見である。 結論から言えば、よくあるビジネス本のような成功譚は書いていないし、淡々と島田氏が夏葉社を設立してからの十年を綴っていたものだ。そこに成功をひけらかすような意図もなければ、カッコ良く見せようなんて意図は皆無である。問題はわたしの方にあって、単に羨ましいと思っただけだろう。 わたしも「ひとり出版社」を作っている身ではあるが、まだ設立したばかり。しかも商業出版としての第1冊目は現在制作中の未完である。出版社といえば少し格好がつくかもしれないが、吹けば飛ぶような零細企業、明日辞めてもおかしくない吹かなくても飛んでいってしまうくらいのものだ。 そんな鬱々とした気分で読めば、とんでもない偏見を持って読んでもおかしくないだろう。とはいえだ、夏葉社は十年も出版社を続けている。十年前、わたしはまだ会社員だ。その十年という積み重ねを無視して良いわけがない。 そして、本誌を読み終えた後にまた反省するのである。 わたしは何を比較していたんだ。全くもって烏滸がましいと。   わたしはエッセイが苦手なのではなく、他人への接し方がとんでもなく下手くそなのである。どっちが上でどっちが下かとか考えるし、他人より上手くやれているか気になるし、褒められ慣れてないから良いことを言われても裏の意図を読んでしまう。とまぁ、他人の物語をどう消化してよいか分かっていないという、そんなお子ちゃまなのである。 けれど、これからわたしは色々な人に文章を書いてもらいたいと思っている。そして出来れば白蝶社で本を出して欲しいと思っている。だから、そんな比較なんてツマラナイことをせずに純粋に他人の書く文章を楽しんだらいい。 ある意味でわたしはこの本を読んでひとつ学んだだろう。積読している『文學界』九月号の特集「エッセイが読みたい」読まなきゃだな。

ぼくはエッセイが苦手だ。

わたしはエッセイが苦手である。昨今、芸能人もエッセイを書くし、市井の人々もエッセイを書く。オンラインサービスのnoteなんてそのためにあるのではと思うくらい、エッセイの投稿は多い。 しかし、わたしはエッセイが苦手だ。どうして苦手かというと、あまりに個人的なエピソードが多いからだ。そして、その語り口が鼻に付くこともあるし、結局はその自分語りがわたしにいっこうに染み込んでこないからというのが理由なのかもしれない。 そう考えてしまうには心当たりがある。 わたしは近しい人からは「我が強い」「プライドが高い」と言われることがある。それは自分でも認めるところである。そして更に近しい人(それは家族であったりするのだが)からは、「その割には自信が無い」と思われている。それも自分で認めるところである。更には「他人と比較してしまう」という良くないオマケまでついてきてしまっている。 だから、エッセイを読んでも反発心しか生まれてこない。そしてそんな風だから、わたし自身のことを語ることもかなり臆病になる。「わたしの話なんて聞いても面白くないでしょう」と。だから、エッセイは読むのも、書くのも苦手なのだ。じゃあこの文章はなんなんだよ?と問われるだろう。これは、自己反省のようなものだ。 最近読んだ本がある。『古くてあたらしい仕事』(島田潤一郎著)。ひとり出版社の夏葉社の代表である。これもエッセイなのだが、正直なところ前半部分は内容どうこうではなく読み進めるのが苦であった。理由は単純で「あぁ、また誰かの成功譚を読まされるのか」「自分語りは他人が聞いてて心地良いものじゃないな」とか考えながら読んでいたからだ。かなりの偏見である。 結論から言えば、よくあるビジネス本のような成功譚は書いていないし、淡々と島田氏が夏葉社を設立してからの十年を綴っていたものだ。そこに成功をひけらかすような意図もなければ、カッコ良く見せようなんて意図は皆無である。問題はわたしの方にあって、単に羨ましいと思っただけだろう。 わたしも「ひとり出版社」を作っている身ではあるが、まだ設立したばかり。しかも商業出版としての第1冊目は現在制作中の未完である。出版社といえば少し格好がつくかもしれないが、吹けば飛ぶような零細企業、明日辞めてもおかしくない吹かなくても飛んでいってしまうくらいのものだ。 そんな鬱々とした気分で読めば、とんでもない偏見を持って読んでもおかしくないだろう。とはいえだ、夏葉社は十年も出版社を続けている。十年前、わたしはまだ会社員だ。その十年という積み重ねを無視して良いわけがない。 そして、本誌を読み終えた後にまた反省するのである。 わたしは何を比較していたんだ。全くもって烏滸がましいと。   わたしはエッセイが苦手なのではなく、他人への接し方がとんでもなく下手くそなのである。どっちが上でどっちが下かとか考えるし、他人より上手くやれているか気になるし、褒められ慣れてないから良いことを言われても裏の意図を読んでしまう。とまぁ、他人の物語をどう消化してよいか分かっていないという、そんなお子ちゃまなのである。 けれど、これからわたしは色々な人に文章を書いてもらいたいと思っている。そして出来れば白蝶社で本を出して欲しいと思っている。だから、そんな比較なんてツマラナイことをせずに純粋に他人の書く文章を楽しんだらいい。 ある意味でわたしはこの本を読んでひとつ学んだだろう。積読している『文學界』九月号の特集「エッセイが読みたい」読まなきゃだな。

お仕事ドラマの行末はいかに。

お仕事ドラマの行末はいかに。

この記事は「お仕事ドラマを観て、『さあ、明日からの仕事も頑張ろう』って思える時代って既に終わってない?どうなの?」という問いかけをつらつらと書いていくものです。せっかちな方は、それだけ知っていてください。   息子がTVerの『ドラえもん』を繰り返し繰り返し観るものだから、毎日TVerのトップ画面を眺めている。よくも飽きずに観られるものだと関心しながらもポチポチ画面を操作していると、あるドラマのタイトルに目がいった。 『転職の魔王様』カンテレ制作のドラマで既に6話まで放送されていた。主演、成田凌・小芝風花という布陣で、少し前に放送されていた『波よ聴いてくれ』の印象が残っていた小芝風花が全く違う雰囲気だったのに、これまた驚いてしまった。あの金髪好きだったけど。 https://www.ktv.jp/tenshokumao/ ドラマの内容には深く触れませんが、転職エージェントである来栖嵐(役:成田凌)は最強毒舌の魔王として様々な求職者と向き合っていく物語。よくある「普段なかなか言えないことを毒舌キャラが代弁してくれる」話で、番組公式サイト曰く「爽快エンターテインメント」らしい。 主人公の未谷千晴(役:小芝風花)は大手広告代理店をパラハラが原因で3年ほどで辞めてしまったことが第1話で語られるのだが、そう聞くと電通に勤めていた高橋まつりさん(当時24歳)が都内の女子寮で自らその生涯を終えてしまった事件を思い出す。2015年12月にその事件は起きたから、もう8年も経つことになる。 https://www.asahi.com/articles/ASNDS5STWNDQULFA03F.html 本作は原作小説『転職の魔王様(額賀澪著、PHP文芸文庫)』をドラマ化したものなのだが、誰がどう読んでも高橋まつりさんを思い浮かべるような設定を、主人公にできるほど時間が経ったのかどうか、正直なところ私には未だ怪しいところがある。彼女がもし生きていてくれたら、転職という道を選んでくれていたら、そんなパラレルワールドを描いてくれている作品なのだろうか、そう期待して観てしまう視聴者が多いのではないか。いや、そんな人は少数派なのだろうか。でも、カンテレは『エルピスー希望、あるいは災いー』においてもメディア業界の暗部を攻めたドラマを制作したので、本作もその流れを汲むものなのかなと勘繰ってしまう。違うと思うけど。 本作『転職の魔王様』には人材紹介会社が多数CMを出稿している。あまりに直球すぎる本編とCMのマッチング具合で、逆に広告主側もあからさま過ぎて嫌なのかとも思ったけど、全くそんなことはないのかもしれない。これくらいあからさまに訴求しないといけないのか。 この作品ほど自社CMを放送するのに適したCM枠もないだろうが、働く会社員諸氏は電車などの交通広告でも同じCMを見せられ、ドラマ本編でも「これでもか!」と出てく転職ネタに胸焼けしないのだろうか。ちなみに疑問なのは、このドラマを観て「あースッキリした、明日からの仕事も頑張るぞー」と思えるのかということ。それとも「迷ってたけど、俺も転職しよ。さて会員登録だ」と背中を押されるのだろうか。 個人的には勤め先の会社が変わったところで、そこまでその人の人生は変わらないと思う。何を変えたいかに依るだろうが、給与水準や勤務地など細かい諸条件は変わっても大元になる人生の方向性というのは転職しただけでは変わらない。 『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』的なTBS日曜劇場が得意とする「痛快お仕事ドラマ」で働く元気をもらい続けるのも限界じゃないだろうか。お仕事ドラマというフォーマットの先行きが気になりはじめている。  

お仕事ドラマの行末はいかに。

この記事は「お仕事ドラマを観て、『さあ、明日からの仕事も頑張ろう』って思える時代って既に終わってない?どうなの?」という問いかけをつらつらと書いていくものです。せっかちな方は、それだけ知っていてください。   息子がTVerの『ドラえもん』を繰り返し繰り返し観るものだから、毎日TVerのトップ画面を眺めている。よくも飽きずに観られるものだと関心しながらもポチポチ画面を操作していると、あるドラマのタイトルに目がいった。 『転職の魔王様』カンテレ制作のドラマで既に6話まで放送されていた。主演、成田凌・小芝風花という布陣で、少し前に放送されていた『波よ聴いてくれ』の印象が残っていた小芝風花が全く違う雰囲気だったのに、これまた驚いてしまった。あの金髪好きだったけど。 https://www.ktv.jp/tenshokumao/ ドラマの内容には深く触れませんが、転職エージェントである来栖嵐(役:成田凌)は最強毒舌の魔王として様々な求職者と向き合っていく物語。よくある「普段なかなか言えないことを毒舌キャラが代弁してくれる」話で、番組公式サイト曰く「爽快エンターテインメント」らしい。 主人公の未谷千晴(役:小芝風花)は大手広告代理店をパラハラが原因で3年ほどで辞めてしまったことが第1話で語られるのだが、そう聞くと電通に勤めていた高橋まつりさん(当時24歳)が都内の女子寮で自らその生涯を終えてしまった事件を思い出す。2015年12月にその事件は起きたから、もう8年も経つことになる。 https://www.asahi.com/articles/ASNDS5STWNDQULFA03F.html 本作は原作小説『転職の魔王様(額賀澪著、PHP文芸文庫)』をドラマ化したものなのだが、誰がどう読んでも高橋まつりさんを思い浮かべるような設定を、主人公にできるほど時間が経ったのかどうか、正直なところ私には未だ怪しいところがある。彼女がもし生きていてくれたら、転職という道を選んでくれていたら、そんなパラレルワールドを描いてくれている作品なのだろうか、そう期待して観てしまう視聴者が多いのではないか。いや、そんな人は少数派なのだろうか。でも、カンテレは『エルピスー希望、あるいは災いー』においてもメディア業界の暗部を攻めたドラマを制作したので、本作もその流れを汲むものなのかなと勘繰ってしまう。違うと思うけど。 本作『転職の魔王様』には人材紹介会社が多数CMを出稿している。あまりに直球すぎる本編とCMのマッチング具合で、逆に広告主側もあからさま過ぎて嫌なのかとも思ったけど、全くそんなことはないのかもしれない。これくらいあからさまに訴求しないといけないのか。 この作品ほど自社CMを放送するのに適したCM枠もないだろうが、働く会社員諸氏は電車などの交通広告でも同じCMを見せられ、ドラマ本編でも「これでもか!」と出てく転職ネタに胸焼けしないのだろうか。ちなみに疑問なのは、このドラマを観て「あースッキリした、明日からの仕事も頑張るぞー」と思えるのかということ。それとも「迷ってたけど、俺も転職しよ。さて会員登録だ」と背中を押されるのだろうか。 個人的には勤め先の会社が変わったところで、そこまでその人の人生は変わらないと思う。何を変えたいかに依るだろうが、給与水準や勤務地など細かい諸条件は変わっても大元になる人生の方向性というのは転職しただけでは変わらない。 『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』的なTBS日曜劇場が得意とする「痛快お仕事ドラマ」で働く元気をもらい続けるのも限界じゃないだろうか。お仕事ドラマというフォーマットの先行きが気になりはじめている。  

負け犬の遠吠え #1

負け犬の遠吠え #1

この記事は「私は多数派に属するのではなく、少数派だった」という話をつらつらと書いていくものです。せっかちな方は、それだけ知っていてください。   暑い熱い夏がやってきた。小さな子どもたちを抱えた親御さんたちはこの夏休みに戦々恐々していることだろう。しかし、昨日有明GYM-EXで開催されたトミカ博では子どもたちとの時間を恐れるような親の姿は少なく、むしろ一緒になって楽しむ微笑ましい光景がそこかしこにあったように思う。みんな良い親だ。 わたしの息子(3歳)は無類のトミカ好き(プラレール好きでもあるのだが)なのではしゃぎまくっていたが、かく言うわたしはそこまで車好きという訳ではない。ミニチュア好きではあるので、圧巻のジオラマには他の大人たちと同様に釘付けにされた。   会場の熱気にあてられて、併設されたトミカショップで大量のトミカを購入してしまった。息子が欲しがったのはトミカ博限定の「UDトラックス クオン トミカ昆虫館トラック(巨大カブトムシ)」だけだったのだが、息子を言い訳にして20台くらい購入してしまった。まぁ良いじゃないか。よくある家族の休日風景さ。 さて冒頭に書いたような、わたしが少数派である理由を述べていこう。   最近のこうしたイベントは(と主語を大きくして語って良いものか悩むが)入場券を事前にオンライン購入させるのが一般的なスタイルだ。一方で、前回参加したプラレール博と同様に会場内で遊べるアトラクションは、事前のオンライン販売ではなく当日に会場内に掲出されたQRコードをその場で読み込み、その場でオンライン決済するという方式だった。そのため、多くの親たちはQRコードにスマホをかざして読み取る光景が会場内のそこかしこにあった。 事前説明はこれくらいにして、ここからがわたしの少数派エピソードの始まりだ。 AppleのiPhoneユーザーならご存知と思うが、QRコードを読み取る際にはコントロールセンターにある「コードスキャナー」を普段から使っている。QRコードを読み取るのだから専用機能を使うほうが良いだろう、そんな気構えでそうしている。餅は餅屋というではないか。わたしは、息子が挑戦したいアトラクションがあるので、そのチケットを購入するために会場内に掲出されていたQRコードにコードスキャナーをかざし、専用ページで決済の手続きに入った。既にIDとパスワードは取得済みなので、ログイン情報を入力する。過去に決済したことがある場合、購入者情報が記録されているため入力の手間を省くことができる。次に二段階認証が始まった。登録したアドレスに認証番号が飛んでいるようなので、それを確認するためにメールアプリを開いた。認証コードの確認を終えて、いざ入力画面に戻ろうとしたら既に購入画面がスマホ上から消えている。   あれ?なんで? 全てを説明するとかなり冗長になってしまうので結果のみお伝えすると、どうやら私のやり方に誤りがあったようだ。 コードスキャナーで読み込み、そのまま手続きを進めていたのだが、正しくは直ぐにブラウザを立ち上げないと決済完了まで行き着くことができないらしい「コードスキャナーで読み込み、ブラウザを立ち上げ直す。」そのアクションが必要であることを知らなかったばかりに、何度も何度も同じ作業を繰返すことになり、しかも決済が完了しない焦りで苛立ちがつのるばかりだった。最終的には、会場スタッフの方に間違いを指摘され、正しいやり方でもってチケットを購入することができた。無事に息子もアトラクションを楽しむことができた。あぁ、よかった。 どうにも腑に落ちないことがあり、妻にそのことを話してみた。 私:コードスキャナーで読み込んだ後にわざわざブラウザ立ち上げ直さないといけないとか、分からなくない? 妻の答えはなんともあっけないもので。 妻:カメラを起動して読み込めばいいんじゃない。カメラをかざしたら黄色い文字が出てくるでしょ。 おいおい、そんなことは知ってるよ。馬鹿にするんじゃないと内心思ったが、カメラを起動しても上手く読み込まないことがあるから、わざわざ専用のコードスキャナーを使うんじゃないか。そう思った。妻は妻で私の言ったことに納得がいかなかったようで、独自に調査をしたらしい。会場内でQRコードを読み取る際、多くの人(数にして10人ほど)はカメラを起動してQRコードを読み込んでいた。コードスキャナーを使っていた人は皆無だったと、わたしに丁寧に報告してくれた。餅は餅屋じゃないのか…その時わたしは気づいた。わたしは完全なる少数派の側だった。 あなたは自分が多数派であるか、少数派であるか、考えたことがあるだろうか? わたしはこれまで、自分は多数派に属する、ごくごく平凡な普通の人だと思っていた。しかし、薄々気づいていた。会社員という立場にうまく馴染めず会社を辞めた。そもそも心療内科に通うような精神状況だ。少なくとも大学を卒業し新卒で働いている頃くらいまでは自分は多数派の側、大衆的な人間であって、世の普通を生きていると思っていたけど、そうではなかったようだった。 むかし友人がこんなことを言っていたことを思い出す。 わたしの履歴書は綺麗なことが自慢、と。 彼女は都内に生まれ裕福な家庭に育ち、私立の中高一貫女子校に通い現役で大学に入学した。留年もせずストレートに卒業。大手の上場企業に入社した。 履歴書に綺麗もなにもあるかいと思ったけれど、実際に転職を繰り返して職歴欄が増えてしまうことを、これまでの日本人は嫌う傾向にあったことは事実だろう。新卒入社した会社にずっと勤め続けるのが美徳なのだから。それを考えれば、わたしは転職経験が複数回あるので私の履歴書はとても汚いものだろう。だからどうと言うこともないが。しかしながら、誰もが公に口にしないだけで、少なくない人が自分の経歴を自慢したいのかもしれない。 わたしは、浪人もしている留年もしている、そして転職もしているし、休職もしている。私の履歴書は穴ぼこだらけだし、とても人に誇れるところがない。別な言い方をすれば、私の経歴には一貫性がないのだ。 一貫性、それはこれまで日本社会が前提としていた要素に多分に影響を受けている。浪人せずに現役で大学に行く、そつなく授業をこなして4年ストレートで卒業する、新卒入社した会社に定年まで勤め上げる、身体的にも精神的にも健康であり続けて毎日元気に出社する、そうしたあらゆる当たり前に私は自分を当てはめることができなかった。...

負け犬の遠吠え #1

この記事は「私は多数派に属するのではなく、少数派だった」という話をつらつらと書いていくものです。せっかちな方は、それだけ知っていてください。   暑い熱い夏がやってきた。小さな子どもたちを抱えた親御さんたちはこの夏休みに戦々恐々していることだろう。しかし、昨日有明GYM-EXで開催されたトミカ博では子どもたちとの時間を恐れるような親の姿は少なく、むしろ一緒になって楽しむ微笑ましい光景がそこかしこにあったように思う。みんな良い親だ。 わたしの息子(3歳)は無類のトミカ好き(プラレール好きでもあるのだが)なのではしゃぎまくっていたが、かく言うわたしはそこまで車好きという訳ではない。ミニチュア好きではあるので、圧巻のジオラマには他の大人たちと同様に釘付けにされた。   会場の熱気にあてられて、併設されたトミカショップで大量のトミカを購入してしまった。息子が欲しがったのはトミカ博限定の「UDトラックス クオン トミカ昆虫館トラック(巨大カブトムシ)」だけだったのだが、息子を言い訳にして20台くらい購入してしまった。まぁ良いじゃないか。よくある家族の休日風景さ。 さて冒頭に書いたような、わたしが少数派である理由を述べていこう。   最近のこうしたイベントは(と主語を大きくして語って良いものか悩むが)入場券を事前にオンライン購入させるのが一般的なスタイルだ。一方で、前回参加したプラレール博と同様に会場内で遊べるアトラクションは、事前のオンライン販売ではなく当日に会場内に掲出されたQRコードをその場で読み込み、その場でオンライン決済するという方式だった。そのため、多くの親たちはQRコードにスマホをかざして読み取る光景が会場内のそこかしこにあった。 事前説明はこれくらいにして、ここからがわたしの少数派エピソードの始まりだ。 AppleのiPhoneユーザーならご存知と思うが、QRコードを読み取る際にはコントロールセンターにある「コードスキャナー」を普段から使っている。QRコードを読み取るのだから専用機能を使うほうが良いだろう、そんな気構えでそうしている。餅は餅屋というではないか。わたしは、息子が挑戦したいアトラクションがあるので、そのチケットを購入するために会場内に掲出されていたQRコードにコードスキャナーをかざし、専用ページで決済の手続きに入った。既にIDとパスワードは取得済みなので、ログイン情報を入力する。過去に決済したことがある場合、購入者情報が記録されているため入力の手間を省くことができる。次に二段階認証が始まった。登録したアドレスに認証番号が飛んでいるようなので、それを確認するためにメールアプリを開いた。認証コードの確認を終えて、いざ入力画面に戻ろうとしたら既に購入画面がスマホ上から消えている。   あれ?なんで? 全てを説明するとかなり冗長になってしまうので結果のみお伝えすると、どうやら私のやり方に誤りがあったようだ。 コードスキャナーで読み込み、そのまま手続きを進めていたのだが、正しくは直ぐにブラウザを立ち上げないと決済完了まで行き着くことができないらしい「コードスキャナーで読み込み、ブラウザを立ち上げ直す。」そのアクションが必要であることを知らなかったばかりに、何度も何度も同じ作業を繰返すことになり、しかも決済が完了しない焦りで苛立ちがつのるばかりだった。最終的には、会場スタッフの方に間違いを指摘され、正しいやり方でもってチケットを購入することができた。無事に息子もアトラクションを楽しむことができた。あぁ、よかった。 どうにも腑に落ちないことがあり、妻にそのことを話してみた。 私:コードスキャナーで読み込んだ後にわざわざブラウザ立ち上げ直さないといけないとか、分からなくない? 妻の答えはなんともあっけないもので。 妻:カメラを起動して読み込めばいいんじゃない。カメラをかざしたら黄色い文字が出てくるでしょ。 おいおい、そんなことは知ってるよ。馬鹿にするんじゃないと内心思ったが、カメラを起動しても上手く読み込まないことがあるから、わざわざ専用のコードスキャナーを使うんじゃないか。そう思った。妻は妻で私の言ったことに納得がいかなかったようで、独自に調査をしたらしい。会場内でQRコードを読み取る際、多くの人(数にして10人ほど)はカメラを起動してQRコードを読み込んでいた。コードスキャナーを使っていた人は皆無だったと、わたしに丁寧に報告してくれた。餅は餅屋じゃないのか…その時わたしは気づいた。わたしは完全なる少数派の側だった。 あなたは自分が多数派であるか、少数派であるか、考えたことがあるだろうか? わたしはこれまで、自分は多数派に属する、ごくごく平凡な普通の人だと思っていた。しかし、薄々気づいていた。会社員という立場にうまく馴染めず会社を辞めた。そもそも心療内科に通うような精神状況だ。少なくとも大学を卒業し新卒で働いている頃くらいまでは自分は多数派の側、大衆的な人間であって、世の普通を生きていると思っていたけど、そうではなかったようだった。 むかし友人がこんなことを言っていたことを思い出す。 わたしの履歴書は綺麗なことが自慢、と。 彼女は都内に生まれ裕福な家庭に育ち、私立の中高一貫女子校に通い現役で大学に入学した。留年もせずストレートに卒業。大手の上場企業に入社した。 履歴書に綺麗もなにもあるかいと思ったけれど、実際に転職を繰り返して職歴欄が増えてしまうことを、これまでの日本人は嫌う傾向にあったことは事実だろう。新卒入社した会社にずっと勤め続けるのが美徳なのだから。それを考えれば、わたしは転職経験が複数回あるので私の履歴書はとても汚いものだろう。だからどうと言うこともないが。しかしながら、誰もが公に口にしないだけで、少なくない人が自分の経歴を自慢したいのかもしれない。 わたしは、浪人もしている留年もしている、そして転職もしているし、休職もしている。私の履歴書は穴ぼこだらけだし、とても人に誇れるところがない。別な言い方をすれば、私の経歴には一貫性がないのだ。 一貫性、それはこれまで日本社会が前提としていた要素に多分に影響を受けている。浪人せずに現役で大学に行く、そつなく授業をこなして4年ストレートで卒業する、新卒入社した会社に定年まで勤め上げる、身体的にも精神的にも健康であり続けて毎日元気に出社する、そうしたあらゆる当たり前に私は自分を当てはめることができなかった。...

一人出版社・社長の負け犬の遠吠え #0

一人出版社・社長の負け犬の遠吠え #0

本日からこのタイトルでブログを始めていこうと思う。 これは自虐なのかもしれないが、本当にそう思っている自分がいるからタイトルとしてしっくりくるのだ。 「いい歳して会社を辞めて起業なんかして何してんだ」、そう心の中のリトル豊史が言っている。そして親も妻もみんな言っている。 でも会社員を続けていくことはどうしても無理だった。こうして社会不適合者のような生活をし、仕事だか何だか分からないようなことを毎日やっている。 わたしが大学生の頃「渋谷ではたらく社長のブログ」があった。かの有名なあの人のブログだ。わたしもそれっぽいタイトルにしようかとも思ったけれど、似合わないことをやっても続かないから辞めた。わたしにとって起業は止むに止まれぬ選択肢であり、それしか道が無かったとも言えるからキラキラした何かなんて語れるような自信はないし、語るつもりもない。 実は雑誌を1冊出すたびに色々な人から色々なことを言われ、その度に結構参ってしまう。唯一の救いは読者から聞かせていただく感想だ。お金を頂いて前向きな感想をいただけるのは、本当にありがたい。生きていて良かったと思う。 わたしは「70歳まで働くとして、あと30年も会社員をやるつもりはない」その想いだけが支えである。  

一人出版社・社長の負け犬の遠吠え #0

本日からこのタイトルでブログを始めていこうと思う。 これは自虐なのかもしれないが、本当にそう思っている自分がいるからタイトルとしてしっくりくるのだ。 「いい歳して会社を辞めて起業なんかして何してんだ」、そう心の中のリトル豊史が言っている。そして親も妻もみんな言っている。 でも会社員を続けていくことはどうしても無理だった。こうして社会不適合者のような生活をし、仕事だか何だか分からないようなことを毎日やっている。 わたしが大学生の頃「渋谷ではたらく社長のブログ」があった。かの有名なあの人のブログだ。わたしもそれっぽいタイトルにしようかとも思ったけれど、似合わないことをやっても続かないから辞めた。わたしにとって起業は止むに止まれぬ選択肢であり、それしか道が無かったとも言えるからキラキラした何かなんて語れるような自信はないし、語るつもりもない。 実は雑誌を1冊出すたびに色々な人から色々なことを言われ、その度に結構参ってしまう。唯一の救いは読者から聞かせていただく感想だ。お金を頂いて前向きな感想をいただけるのは、本当にありがたい。生きていて良かったと思う。 わたしは「70歳まで働くとして、あと30年も会社員をやるつもりはない」その想いだけが支えである。